「新歓」という歪な制度

年度が明け、2017年度となった。

学習院大学では各団体が新歓活動を今日から始めているようだ。

新入生が未成年であったとしても飲酒を求められ、ともすれば強要されると思うと、実に悲しく思える。昨日から降り続く雨を見るに、まさに「天も泣いている」と形容するべきか。
新入生がこれから「堕ちていく」一方で、新入生を接待しなければならない既存学生にとっても、新歓というのは大きな負担となることだろう。

接待営業よろしく、自団体に入ってくれるかも分からない新入生の飲食費や交遊費を払うのだから、かなりの支出になることだろう請け合いだ。そしてその資金は2月・3月にせっせとアルバイトして得ていると思うと、なんとも滑稽極まりない。「無駄な出費」となる可能性の高い支出のために、時間と労力を捧げているのだから、実にバカバカしい。
そう考えると、「新歓」というのは、「新入生」「既存学生」の登場人物双方にとって不毛な、実に歪な制度であると言わざるを得ない。

例えば一般企業のマーケティングや採用広報フローを参考に、効率的かつ効果的な「新歓」を作り上げられるだけの余地は大いにあると考えられるのだが、各団体ともに「新歓」の改善に向けた動きは見られない。もし真剣に「新歓」をするのであれば、採用計画の企画立案や調査研究が活発に行われているはずである。

つまり各団体ともに「新歓」を真剣に実施していないのではないか。「新歓」は将来的な人的資源となる新入生を獲得するためのものではなく、既存学生が騒ぐ大義名分に変貌しているように思える。

すると新入生が「新歓」に行って接待されるとしても、それは既存学生が騒ぐための大義名分と道具でしかない。だからほとんどが未成年の大学1年生を接待する「新歓」の場にも酒が登場し、新入生がその被害に遭う。
そう考えると「新歓」とは実に歪な制度だ。「新入生のため」という看板を掲げておきながら、実態は「既存学生の快楽のため」であり、その目的のために新入生が巻き添えにされる。

「悪習」と形容するべきか、それとも大学というムラ社会の「奇習」と言うべきか。